デクス×アリス



そよ風に可憐に揺れるだけで人々から愛され慈しまれる花という存在を、アリスは好まない。認められるべきは力を持つ者。他者を圧倒し蹂躙できるほどの強大な力を持つ人間だけだ。それなのに、媚びを売るだけで容易に居場所を得ようとするなんて、なんと浅薄な。


わかっている。これはただの嫉みだ。無条件に世界に受け入れられているものすべてが夜も眠れないほど憎くて憎くてたまらないから、この舌を噛み切ってしまいたいような衝動すら滾り立つ。げんにほら、強く噛んだくちびるから滲む血で、くちのなかがなまぐさい。自分を傷つけたところでアリスが望むような変貌が都合よく訪れるはずもないことはわかっているのに、気づけば押さえきれない激情が何らかのかたちをとって理性を食い破り顕れる。


す、と紅を刷くように、デクスの指がくちびるを撫ぜた。まどろみから引き上げられるようにゆっくりと視線を上げて、彼を睨めつける。


「なによ」

「痛いでしょ」


そう言って、困ったように笑うから、アリスの胸の内で吐き気にも似た熱が燻りを見せる。


「あんたに関係ないわ」

「あるよ。俺はアリスちゃんが大事だ」

「この身体の所有権はアリスちゃんにあるの。たとえどこを切り落とそうが抉ろうがアリスちゃんの勝手よ」

「じゃあ代わりに俺を使えばいい」

「は?」

「アリスちゃんが自分の身体を傷つけたいなら、代わりに俺の身体を傷つけてよ」


やはりこいつはおかしい、と自然と眉が顰められていた。おかしい。思考回路がずれている――否、トんでいる、とでも形容すべきか。その揺らぎない言動を見れば、アリスを諌めたいがための上辺だけの言葉とは到底思えない。本気で、献身を訴えている。


デクスの言葉通りにアリスが彼の腕を落とし、目玉を刳り抜いてやったって、きっと恨み言のひとつすらくちにすることはないのだろう。むしろアリスの役に立てたならと、血に溺れた姿で微笑むのだろう。自惚れとは程遠く、畏怖すら感じる境地でアリスは確信する。それくらい、デクスの双眸は穏やかに凍てついていた。


踵が半歩ぶん、上体が一歩ぶん、デクスから遠ざかろうと微動した。しかしそれを読んだのか、デクスは一瞬で間合いをゼロへと引き戻す。優位だったはずの自分を見下ろすのは鏡のような瞳。そこに映るのは、さっきまでの威勢はどこへ失せたのか、虚栄で怯えを殺そうとするただのちっぽけな少女だけ。


「噛んで」


短い言葉が耳をかすめた。声が甘い、と脳が錯覚したのはきっと、彼のくちびるがアリスの問を封じたからだ。


混乱しないわけがない。


必死でデクスを押し返すけれど、腰と後頭部にまわされたふたつの手がそれを決して許さない。


デクスのくちびるを噛め、とということなのか。アリスがくちびるを噛んだりするから、その代わりとして。噛めるものなら噛んでやりたいわよ、とアリスは内心で吠えた。くるめられている自分に対する必死の見栄だった。でも。だって。デクスの舌が、したくちびるの傷を執拗なまでに舐め上げるのだ。そのたびに求めていないふるえが背筋を走って、抵抗どころではなくなってしまう。


薄く目を開けると、デクスはまぶたを閉じていた。行為に没頭しているというよりは、苦痛に耐えていると認識した方が正しい気がした。理由はわからない。まぶたがあまりに青白いからか、歪む眉根がそう見せるのか、それとも、腰にある彼の右手が縋るようにアリスの衣服を何度も握りなおすからか。


本当に、ばかなやつ。


アリスは再び目を閉じた。そうすると、世界には自分と、感触として伝わってくるデクスしかいなかった。アリスを散々虐げた人間も神さまも花もいない。デクスがこの口づけに託したのはたぶん、そういうことではないんだろうけれど、このふたりだけの世界はアリスにひどく優しくて、柄にもなく永遠なんて言葉を心の内側でつぶやいてみた。

夜の内側でしか祈れない

title:春告げチーリン
130703