ぬくもり というものをこんなに欲張りなきもちで羨んだことなんて エステルが覚えている限り生まれてこのかたただの一度としてなかったと、思う。だからじわりじわりと心は爛れる、覚えのない感覚に自分というものがわからなくなる。わたしこわいんです ほんとうです、わたしがわたしじゃなくなるの。うつむいた顎を切りそろえた髪がかすめてくすぐったいなおかしいな、まるではじめて呼吸しているみたい。
「もう会えなくなりま、すね」ふるえないでと願った声はあたりまえのようにふるえてまぶたが痛い「ああ。そもそもこうして一緒に過ごせたこと自体、奇跡みたいなもんだろ」身分が違うんだからさ ユーリが笑う、どうしてユーリは笑えるんだろうと考えるエステルは笑えない。ひきつるくちびるの端を風にあおられた髪先がぱちりと叱る、
泣きそう、だった
視線の先で咲き誇る赤白ピンクの薔薇の名前をエステルは知らない、知らなくともただそこに美しく在るだけで良いと思っていたから。けれどもしひとつでもその名が言えたなら 残りわずかな今という時間をもうすこし延命させてやることもできたかもしれない(そんなもしもですら悪あがき)でもエステルにはなにもできない いびつな笑顔で秒読みをするしかない。お別れの足音が耳から離れないなかで ああ薔薇の花がとってもきれい、ほらユーリみてくださいなんてはしゃいでみせるわたしは愚かでしょうか滑稽でしょうか。こんなふうに 無様に抗おうなんて思ってなかったの、嘘じゃない。だけどいざそのときが来てしまえば後ろ指をさされてもしかたがないくらい臆病なわたしがきらい大きらい(こうなることはわかっていたのです)(だからさよならの準備をずっとしてきたはずなのです)心の整理気持ちの清算、それらをずっとずっと 本当にずっとしてきたの。鏡にうつる道化みたいにちぐはぐな感情を浮かべる自分を心の内側で何度も刺して ころしたの(あの子は泣いてた ただただあなたの名を叫んで泣いていた)
言わなければ ちゃんと言わなければ わたしがころしたわたしがあんまり可哀想だ、彼女はしにたくなんてなかった 生きていたかった 彼女は彼女がわたしにとって大切で有毒な存在だってわかっていた だから抗い、そして屈した。わたしたちの ために。
ユーリとわたしの間には薔薇がふたつ飾れるくらいの距離があるけれど 手を伸ばせば焦がれてやまないそのぬくもりを掴めるんだろう、この手に閉じ込めることができるんだろう(無理やりに嚥下した悲鳴でわたしの喉は裂けて)飲み下した最後の感情のひとかけらは血の味がした



きみに届けばいいのになんてね



エステルが吐き出したさよならをユーリはさよならで受け取った、それがあの子への墓標。誰にも知られずにしんだもうひとりのエステルへの 最初で最後のプレゼント



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